京都 竜安寺

石庭といえば枯山水で有名な京都の竜安寺です。その歴史は、室町幕府の時代にあの応仁の乱で総帥をつとめていたとされる細川勝元が建てたものだそうです。京都竜安寺が建てられた当時は今よりもその敷地は相当広かったそうで、京福電鉄の線路のあたりほどまで境内だったのだと言われています。
竜安寺は一度応仁の乱によって焼失してしまいましたが、細川勝元の息子らによって建て直されその後天下統一を果たした豊臣秀吉と江戸幕府によって保護されたと言われています。現在では竜安寺といえば石庭という歴史が重んじられていますが、建てられた当時の竜安寺はオシドリの名所として名が知られていました。
そのため、竜安寺の池が中心となって池泉回遊式庭園のほうが当時の名所案内書などには有名だとして載せられていたのだそうです。

竜安寺 石庭の歴史

かの有名な竜安寺の石庭。幅25メートル、奥行10メートルほどの広さの敷地に15個の様々な大きさの石が置かれているというだけのとてもシンプルな石庭です。これを作ったのは相阿弥という風に伝えられていますが、竜安寺の石庭の作者、作られた年代やその表現の意味するものはさまざまな歴史の背景があり定かではない部分が多いようです。
竜安寺の石庭の最大の特徴はなんと言ってもおかれている15個の石は、どこから見ても絶対に1個だけは他の石に隠されて見ることができないように作られているというものです。ですが実は一カ所だけ全て見える場所があり専門家の意見によると二分岐構造という配置になっているとのことだそうです。これとは逆に、あまり広くない竜安寺の石庭に15個も石を置けば見えなくなっても不思議なことではないという意見の人もいるようです。
そのため竜安寺の石庭の歴史を、どのように表現しているのかという考え方には様々な考え方があり賛否両論といった状態で真相が定かではないのです。

竜安寺 石庭の15という数字

京都の竜安寺の石庭には15個の石が置かれていますが、なぜ15個なのか疑問に思った方もいるでしょう。一説によると、15の数字を完全を表すという思想があるというのがあります。東洋の考え方だそうですが十五夜、つまり満月を示すことが起因になっているのではないかということなのです。
余談ですが逆に15から1を引いた14という数字は不完全を表すというものもあります。これを如実に表したのが日光東照宮で、完成した時からすでにそれが崩壊する道への始まりだという思想で竜安寺の石庭とは違ってあえて完成していない状態の不完全なままで終わらせているというものもあります。
シンプルにただ15個の石が置かれている京都、竜安寺の石庭ですがその歴史はとても奥深いものがあり貴重な場所です。圧倒されるその空間をこれからも大事にしていってほしいと思います。

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